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【試し読み】『ライト・プレイス ライト・タイム あるロック・フォトグラファーの回想』
一章分まるごと試し読み

出典『ライト・プレイス ライト・タイム あるロック・フォトグラファーの回想』

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シーナ&ザ・ロケッツのCBGBライブ、ミック・ジャガーとセルジュ・ゲンズブール

1988年の春、日本のバンドのシーナ&ザ・ロケッツが次回作のレコーディングをニューヨークでやることになったので、そのために必要な手配を私に頼めるだろうかと尋ねてきた。私は友人にも参加してもらって、ジム・ボールにプロデュースを依頼し、レコーディングに使えるスタジオをボンド・ストリートで見つけたが、偶然にもそこは、日本の著名な書道家が作ったスタジオだった。彼のふたりの息子がともにジャズファンで、ニューヨークに引っ越してきたときにブラウンストーンの物件を購入して、一階を書道教室に改築し、二階には最新設備を導入したスタジオを作った。ジャズ・ミュージシャンがそこを使ってくれることを期待していたのだ。上の階には居住スペースがあって、バンドがそこに宿泊できるようになっていた。こうしてシーナ&ザ・ロケッツはニューヨークに一か月ほど滞在して、アルバム『HAPPY HOUSE』のレコーディングが行われた。

左からジョー・ストラマー、クリス・ラサール、リンダ・ロウ、エドワード・リー、
ジェニファー・センガー、エリザベス・グレゴリー・グルーエン、不明
ニューヨーク・シティ 2002 年11月

シーナ&ザ・ロケッツ『HAPPY HOUSE』
ニューヨーク・シティ 1988 年

彼らはそのスタジオが気に入っており、特にCBGBがすぐ近くにあることに興奮していた――彼らの好きなバンドのほとんどを育てたライブハウスなのだ(シーナ&ザ・ロケッツというバンド名もラモーンズの「シーナはパンク・ロッカー」に由来していた)。彼らはレコーディングを終えると毎晩そこへ通って、やがて、自分たちもCBGBでライブができないだろうかと私に言った。

ヒリーに打診すると、彼はシーナ&ザ・ロケッツを出演させることを承諾してくれた。私はロン・デルスナーに電話をかけ、彼がアップタウンの八十四丁目に所有している小さなクラブでウォーミングアップのライブをやらせてもらう手配を行い、CBGBでのライブを告知するポスターを日本人が多く住む地域にベタベタ貼りまくった。なにしろシーナ&ザ・ロケッツといえば日本では大物バンドだから、ニューヨークで観られるチャンスは誰だって逃したくないだろう。そして、実際そのとおりになった。その夜のCBGBはソールドアウトでライブは大成功だった。ヒリーも彼らのことがいたく気に入り、のちにCBGBの20周年を祝った際にも彼らに出演してもらった。

アルバム中の一曲ではビデオの撮影も行って、私はそれがMTVで流されることを強く希望したが、あいにく、現在では「プロダクト・プレースメント」[背景や小道具として商品を意図的に映し出すこと]と呼ばれているルールのことをよく知らなかったため、意図的にやったわけではないのだが、缶やボトルに書かれている商品名がビデオに映っていたのだ。MTV側は、ビデオを編集し直して商品名を取り除くチャンスを与えてくれたが、こちらの都合もあってそれができなかったのである。

私が初めてジョルジオ・ゴメルスキーに会ったのはトランプスだった。彼は年配の、いかにもプロフェッショナルらしい風情を漂わせた知的なヨーロッパ人で、店に入ってくるとバーに座ってブルースのアーティストを観ていた。謎めいた男で、彼がどこからやって来たのか誰も知らないらしく、言葉になまりがあるのは確かだが、どこのなまりか特定するのも難しく、まるでロシアの神秘主義者か何かのように思えたものだ。

彼は何でもよく知っていて、すべてのことに一家言を持っており、話し好きだった。また、ローリング・ストーンズやヤードバーズと関係があるという噂もあったが、それに関する話は彼の口からは一言も出てこなかった。音楽について論じるとき、彼の頭の中は自分の知っている新人バンドのことでいっぱいで、なんとかして彼らを助けたがっていた。彼らがどんな音楽をやっていようと、それを極めてくれることを常に願っていたのだ。

そうして2、3年ほど経ったある日のこと、トランプスでローウェル・フルスンが演奏していると、ミック・ジャガーが自分のバンドのギタリスト、ジミー・リップを連れてやってきた。そして、バーにいたジョルジオを見つけるやいなや、ミックが彼のところへ行った。ふたりは会えたことをとても喜んでいるみたいで、会話に花を咲かせていた。バーに座っていたほかの連中は、互いにひじで突つき合って言った。「見ろよ、本当にミック・ジャガーと知り合いだったんだ!」

ことの次第が徐々に明らかになってきた。パリにいたころ、ジョルジオは友人のセルジュ・ゲンズブール――なんと! 彼は本当にセルジュ・ゲンズブールと知り合いだったのだ――に、ロンドンに行って発展している音楽シーンを現地で見てこいよと勧められたのだ。それが1960年代のことで、ちょうど新世代のミュージシャンがブルースを発見していた時期だった。

ローリング・ストーンズを見出したのもジョルジオで、彼らがほかのマネージャーの下へ去っていくと、次にヤードバーズを見つけた。ブリティッシュ・ロックの歴史はゴメルスキーの物語と重なっており、それはフレンチ・ロックも同様だった。彼のお気に入りのバンド、マグマとはもう何年もいっしょに仕事をしていて、あるとき、彼らがニューヨークにやってくると、私にいっしょに観に行こうと言ってきかなかった。

私には、あまりいいバンドとは思えなかった。一般受けしないジャズ・プログレッシブ・ロックのサウンドと、でっち上げの外国語でうたった歌の組み合わせだった。でも、ジョルジオは彼らをいたく気に入っていたので、きっと何か光るものがあったに違いない。ジョルジオは二十四丁目にビルを所有しており、そこを若いバンドのリ ハーサル場所として貸し出していた。また、彼が主催する盛大なパーティに行くと、さまざまな有名人に会うことができた。1994年に開催された彼の60歳を祝う誕生パーティでは、ある紳士が余興を披露してくれて、ジョルジオは彼を世界最高ののこぎりプレイヤーだと紹介していた。

こういうことは、私にはよくわからない――のこぎりを弾く人を観たのも、そのときが初めてだったと思う。それでもこの男は、不気味なホラー・エフェクトからこの世のものとは思えないSFシンフォニーまで、幅広いサウンドの数々で集まった人々を魅了していた。もしかしたら本当に世界最高ののこぎりプレイヤーだったのかもしれない。

『ライト・プレイス ライト・タイム あるロック・フォトグラファーの回想』

世界で最もロックを撮った写真家、ボブ・グルーエン初の自伝。250枚超のロックレジェンドたちの写真を掲載した永久保存版!

ジョン・レノン、ボブ・ディラン、ミック・ジャガー、エルトン・ジョン、セックス・ピストルズ、キッス…伝説的ミュージシャンたちとともに1960年代から半世紀以上を歩んできたロックフォトグラファー、ボブ・グルーエン初の回想録『ライト・プレイス ライト・タイム あるロック・フォトグラファーの回想』が遂に日本上陸。

本書では、被写体となったアーティストとの逸話をはじめ、ロックの黎明期より活動してきた著者ならではのエピソードが満載。1970年代よりたびたび訪れた日本の思い出なども存分に語られます。

カラー多数含む250点超の写真を掲載した永久保存版です。

【書誌情報】

書名:ライト・プレイス ライト・タイム あるロック・フォトグラファーの回想
著者:ボブ・グルーエン/デイヴ・トンプソン
訳者:浅尾敦則
仕様: A5判(210×148mm)/ソフトカバー/500頁
価格:3,850円(本体3,500円)
ISBN:978-4-910218-07-6
発売日:2024年8月
発行元:ジーンブックス/株式会社ジーン

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