リアム・ギャラガー激賞!オアシス全134楽曲を網羅した唯一の楽曲解説本 “決定版”
『What’s the story? オアシス全曲解説』
2024年8月、英ロックバンド「OASIS(オアシス)」の再結成が発表され、16年ぶりのワールドツアーに世界中が沸き立ち、感動のライブが繰り広げられる今年、オアシスの音楽性と時代性を反映した、全134楽曲の解説書『What’s the story? オアシス全曲解説』が10/7に発売となります。
「テッド・ケスラーとヘイミッシュ・マクベインは最高の奴らだ。音楽ジャーナリズム界のダドリー・ムーアとピーター・クックだな。 LG x」 ――リアム・ギャラガー
「この本は必読だ。ヘイミッシュとテッドほどバンド、音楽、その影響について知っている人はいない」
――マット ・ ホワイトクロス(映画 『オアシス : スーパーソニック』監督 )
オアシスの始まりからの全記録とも言える本書を著したのは、リアムが絶賛する音楽ジャーナリストのテッド・ケスラーとヘイミッシュ・マクベイン。オアシスデビュー当時から何十回ものインタビューを担当してきた他、メンバーのオフィシャルブックやアルバム・ライナーノーツの執筆など、オアシスというバンドをジャーナリズムの視点から調査分析し、言語化してきた、ギャラガー兄弟を“誰よりも深く知る”二人。バンドやそのマネジメントとも深い関係を築いてきた彼らだからこそ書けた、オアシスの内側に迫る決定的ドキュメントとなっています。
待望の来日公演が目前に迫る今、オアシスの楽曲を聴き直しながら読んでほしい本書。発売まで待ちきれない!という方のために、発売に先立ち、試し読みを公開いたします。
特設サイト公開中!
https://books.jeane.jp/oasis_the_masterplan
『What’s the story? オアシス全曲解説』試し読み

Introduction 序章
オアシス、その勝利の爆音(ノイズ)
バンドの重要性を測るいちばん確実な方法は何だろう。ヒット曲が何曲あるか? ライヴ会場の規模? 音楽的な革新性? 評論家の評価? あるいはポピュラー・カルチャー全体を自分たちのカラーで染め替えてしまうほどの影響力?
どれも大事な指標には違いない。でも、おそらくもっと重要なのは、そのバンドが、後年、現役当時を知らない若い世代の心をどれだけつかみ、刺激を与えられているかという点だ。つまり時を超え、時代背景を知らないリスナーの心にもその音楽が刺さるかどうか。
ノエル・ギャラガーが2009年のオアシス解散後、かたくなに再結成を拒んできた理由の一つは「オアシスを観たかったならチャンスは何度だってあったはずだ」というものだった。ノエルのヒーローであるザ・ジャムやザ・スミスはどちらも活動期間が5年足らずで、スタジアム公演すらしなかった。一方オアシスは、何万人もの観客を前に15年間にわたって世界中でツアーを重ねてきた。また、ノエルのもう一組の重要な影響源であるザ・ストーン・ローゼズの例もある。ローゼズが12年に行った再結成ライヴは「ギリギリ間に合わなかった世代」がオリジナル・メンバーでのローゼズを生で観られる貴重な機会となった。ただしローゼズは90年に姿を消していたし、ライヴ数も全部で100本にも満たなかった。
でもオアシスは違う。デビュー・アルバム『ディフィニトリー・メイビー(邦題:オアシス)』をリリースしたとき、オアシスはすでにキッズを夢中にするという偉業を達成しており、実際にそうした子どもたちがアークティック・モンキーズやザ・キラーズといったゼロ年代バンドへと成長していった。とはいえ、オアシス不在の間、何かが変わったのも本当だ。
16年のドキュメンタリー映画『オアシス:スーパーソニック』はオアシスというバンドがいかに唯一無二の存在だったかを見事に描き出している。彼らは常に「自分たちのルール」で動き、制御不能なカオスの中でこそ本領を発揮し、また人からどう思われようとまったく気にしなかった。しかもめちゃくちゃ笑わせてくれた。また、彼らは名声におびえるどころか、徹底的に楽しみ尽くした。勝ち誇っては、やらかし、また勝ちに行く─そんな浮き沈みの繰り返しのなかで、一貫していたのは、言葉では表せないほど素晴らしい楽曲と、画面越しで見ただけでも人生が変わってしまうようなライヴだった。
このドキュメンタリーが発表された翌年、リアム・ギャラガーはソロ活動を始め、ライヴでオアシス時代の曲も数多く歌った。すると、目の前でオアシス解散当時はまだ幼児だったとしか思えない若者たちが全曲を一緒に合唱し始めた。しかも彼らが歌ったのは〝ワンダーウォール〟や〝シャンペン・スーパーノヴァ〟のように地球上の大半の人が知っている曲だけでなく、〝ロックンロール・スター〟や〝モーニング・グローリー〟などもだった。一方、ノエル・ギャラガーのライヴでも、〝ドント・ルック・バック・イン・アンガー〟が熱唱されるのは当然として、前置きとして「この曲、たぶん知ってる人はほとんどいないと思うけど」とオアシス時代のB面曲を歌おうとすると、〝ドント・ルック・バック・イン・アンガー〟に劣らない熱狂的な反応が返ってくるようになっていた。
24年8月27日の再結成ライヴの発表直後、TikTokやInstagramではオアシスの現役時代を知らない10代の若者たちが初期からのファンと同じかそれ以上に必死でチケットを手に入れようとしていた。いや、むしろ、現役世代以上に熱心だったかもしれない。25年の再結成ライヴに行く資格があるのは自分たちのほうだと言わんばかりの年配のファンたちを、新世代のリスナーたちは「門番かよ?」と揶揄した。オアシスの本質を見誤っているのはむしろこうした年配ファンだった。そもそもオアシスというバンドは「自分の方が昔からファンだった」とマウントを取るような存在ではない。オアシスは、過去も今も、そしてこれからも「みんなのもの」なのだ。初期からのファンでさえ、あっという間に何千人もの新たな仲間たちと一体となれる。『ディフィニトリー・メイビー』ほど、リリース直後から「名盤」とされたデビュー・アルバムはそう多くない。その発売からわずか数日後にオアシスは日本でライヴを行っていた。それから数十年後にヘイミッシュがリアムに初来日の思い出を訊いたとき、今だに、当時の熱狂ぶりにとまどっているようだった。「俺の言葉がわからない連中が、俺らの曲を歌ってる─マジでぶったまげた」とリアムは言った。「たとえばの話、今、日本のバンドがイギリスに来たとして、世間が『こいつら神だろ』って言ってもよ、俺なんかだと、きっと『いやいや英語でやってくれよ』ってなると思うんだよな。で、俺らも日本人にとってはそう聞こえてたわけだろ? なのに日本のファンはちゃんと受けとめてくれた。あれで音楽の力を思い知ったっていうか。音楽って言葉の壁をすっ飛ばして、ハートに直球をキメられるのかって」
オアシスは言葉の壁もジャンルの壁も乗り越えていった。ダンス・ミュージック専門誌Mixmag は『ディフィニトリー・メイビー』に満点の5つ星評価をつけた。イギリスのギター・バンドなんて見向きもしなかった層にまで届いた証だ。オアシスが登場した当時、ギター・バンドはせいぜい全国数十万人のインディー・キッズのものだった。〝スーパーソニック〟が世界にオアシスの登場を知らしめたちょうど1週間前、カート・コバーンが自殺した。この当時はカートの亡霊が「オルタナティヴ」というシーンを依然、支配していた。カート本人はメインストリームとの接触自体を嫌悪しており、93年12月には満員のアリーナでこう語っていたほどだ。「おれはずっとスポーツというものになるべく近づかないように生きてきた。なのに今日はなぜかスポーツ・アリーナにいる」
オアシスの態度は最初からその真逆だった。
パブ仲間でありフットサル仲間だったドラマーのトニー・マッキャロルとベースの〝ギグジー〟ことポール・マッギーガン、そしてギターの〝ボーンヘッド〟ことポール・アーサーズ。特に音楽的才能に恵まれていたわけでもない3人が91年にマンチェスターのバーネイジで「ザ・レイン」というバンドを結成した。最初のヴォーカルは友人のクリス・ハットンだった。ハットンはすぐにお払い箱となり、代わりに加入したのがほぼ毎回ライヴに顔を出していた数少ない観客のひとりで、カリスマ性のある若者リアム・ギャラガーだった。
新加入のリアムはまず、バンド名の変更を提案した。リアムの部屋には兄ノエルがローディーをしていたインスパイラル・カーペッツのツアーポスターが貼ってあり、そのツアー日程の中に「スウィンドン・オアシス」[英国西部スウィンドンにあるレジャー・センター]とあった。オアシス。いいじゃん。これで行こう。
4人はボードウォークという名のライヴハウスのリハーサル室を借りて練習を始めた。ボードウォークはハシエンダ[マンチェスターの伝説的クラブ]のすぐ近くで、今はもう存在していない。「毎晩リハしてた。とにかくクソ真面目っていうか、ファッキン必死にやってたよ」とリアムは語っている。「超最高だった。リハ終わったら上のバーに上がって一杯飲んで、しょうもないバンドのライヴを見る。隣の部屋にはピュアセンスってバンドがいて、いつも『ボリュームを下げろ』って怒鳴ってた。俺たちはシスター・ラヴァーズってバンドと部屋をシェアしてたんだけど、なぜか他の連中はライヴが決まるのに俺らは全然決まんない。ピュアセンスがギグに出かけるのを見ては『俺らの出番はいつだよ!?』って感じよ。どこからも声がかかんなかった」
そんななか何とか出演できた数少ないライヴの場が、まさにそのボードウォークだった。リアムはインスパイラル・カーペッツのツアーから戻っていた兄ノエルに観に来るよう声をかけた。「あいつは『わりと、いんじゃね?』って感じで。そんで俺らは『じゃあマネージャーやってくんねえ? コネ紹介してくれよ?』って言った。そんときのノエルはバンドをやる気なんてないと思ってたんだよ。地元の連中といくつかバンドごっこはやってたけど、ヤル気なさげだったし。興味なかったみたいでよ。インスパイラル・カーペッツの方が楽しそうだった。ローディでそこそこ稼いで、ツアーで世界をまわるじゃん? 俺らを見て『こんなアホどもの相手してられっかよ』って感じだったんじゃね? はっきり言って俺が兄貴の立場でもそう思っただろうし」
だがノエルの考えは違っていた。ノエルはどデカいことを考えていた。92年初頭にはノエルはオアシスのリード・ギタリストとなり、作詞作曲をすべて担う重要な存在となっていた。そして、その年の暮れまでには〝ロックンロール・スター〟〝ブリング・イット・オン・ダウン〟〝コロンビア〟〝リヴ・フォーエヴァー〟などをすでにライヴで披露していた。
これらの楽曲から読み取れるのは、同時代のバンドには見られなかった剥き出しの強烈な野心だ。オアシスはメインストリームに殴り込みをかけるつもりだったし、その場を支配し、自分たちの色に塗り替えるつもりだった。ナンバーワンを狙い、日中のラジオで流され、スタジアムを満杯にしたかった。何よりもスターになろうとしていた。メンバーはその意気込みをつねにインタビューで口にしたわけではなかったが、デビューアルバム『ディフィニトリー・メイビー』の最終ミックスの音が野望のすべてを語っていた。プロデューサーのオーウェン・モリスが土壇場で参加したこのアルバムではひとつひとつの音がボリュームいっぱいまで振り切れ、尊大にして、美しく、ざらざらした音の塊が作り上げられていた。
『ディフィニトリー・メイビー』の宣伝は賢明にもサッカー専門誌やテレビのサッカーの番組でも流された。リリースから間もなく、それまでビートルズ風の髪型にギターを抱えて歩く若者を冷笑していた連中がこぞって髪型をビートルズ風に変え、ギターを抱え始めた。それまではギター・バンドがチャートで1位を取るなんてほぼ不可能だったのに、ごく当たり前のことになった。そして革命的アルバムの例に漏れず、それ以前の音楽がどんなものだったかもう思い出せないほどの状況を作り出してしまった。あっという間に「オアシスもどきバンド」が山ほど量産され、そのどれもが「『ディフィニトリー・メイビー』以来の英国最大の超傑作」と大々的に宣伝された。これが10年以上も続いた。ノエル・ギャラガーは06年、英国ギター・ロックの黄金期の最後の年に嘆いてみせた。「また、あの文句見たら撃ち殺すぜ。〝『ディフィニトリー・メイビー』以来の最高傑作ギター・アルバム〟ってやつ! クソ中のクソだろ!」
今ではそんな宣伝コピーはさっぱり目にしなくなった。そもそも今どき、どんな音楽にも、なかでもギター・バンドなんかにテレビCMを出す余裕なんてない。でも皮肉なことに、現在の音楽環境のほうがむしろ『ディフィニトリー・メイビー』の伝説性を高めている。リリースから四半世紀、90年代という時代文脈を剥ぎ取ってもなお、オアシスのデビュー作はアンプに繋げてスイッチを入れたらすぐに弾ける、究極のガレージロック・アルバムとして響く。5人の人間が集まって録音ボタンを押せば、一時間後には「ブリティッシュ・ロックの歴史を変えるアルバム」ができている。そんな音が詰まっている。
楽曲が今なお素晴らしいこと、比類なきリアムの声、そしてあの自信満々のイキリまくったまい─どれもがオアシスの欠かせない魅力だ。だが何より人を惹きつけるのはその〝心〟だ。たとえば《今夜 俺はロックンロール・スターになる》とか、《俺はただ飛びたいだけ》とか、《気分はスーパーソニック くれよ ジン・トニック》。そんな直球で、シンプルで、現実逃避的で、誰をも受け入れてくれるようなフレーズ。かつてはダンス・ミュージックが担っていたこのノリを、それを小バカにしていたインディ・ギター・バンドが取り入れたのだ。
しかも、これが初めて作ったアルバムなのだ。
95年末までに、オアシスは完全に「本物のポップ・カルチャー現象」になっていた。2枚目の『モーニング・グローリー』は全英アルバム売上歴代5位(その上に君臨するのはクイーンとABBAの各ベスト盤、ビートルズの『サージェント・ペパーズ』、そして最新のアデルの『21』だけだ)。全世界での売上は2200万枚を超えた。これは『ディフィニトリー・メイビー』や3枚目『ビィ・ヒア・ナウ』の3倍近い。だが数字以上に重要なのは、『モーニング・グローリー』の曲はファンでも、ファンでなくても誰もが一語も間違えずに口ずさめるということ。閉店時間間際のパブで世代を問わず、誰もが肩を組んで絶叫し、世界中の街角でストリート・ミュージシャンによって無残に切り刻まれ、そして90年代にはまだ生まれていなかった者の心までつかむようになっていく、そんな曲たち。「リヴ・フォーエヴァー/永遠に生きる」というフレーズどおり、制作に関わった者たちが地上からいなくなったあとでも、ずっとずっと「永遠に生き続ける」曲たちなのだ。
この楽曲群こそが、オアシスを人類でもごく限られた者しか到達し得ない名声の高みへと押し上げた。兄弟が中心のロックバンドでは内輪もめは珍しくない。だがノエルとリアムの場合、その兄弟の力関係の何かこそが、人々を惹きつけた。何十万人を前に、なかでも96年のネブワース2日間公演のように数十万人を相手にするときでさえ、観客は「今夜は一体、何が起こるのかわからない」という思いを抱いて集まってきた。05年のマディソン・スクエア・ガーデン、09年のブエノスアイレスのリーベル・プレート・スタジアム、そして09年8月22日、スタフォードのウェストン・パークでの最終ライヴ──その6日後に、パリ近郊のフェス「ロック・アン・セーヌ」のバックステージで勃発した兄弟喧嘩で15年間に及ぶ活動に突然の幕引きがなされるまで、この力関係は変わらなかった。
とはいえ、こうした数々の伝説的ライヴを残してはいるが、一般的にいえばオアシスは音楽的に90年代半ばの頂点には返り咲けなかったと考えられている。無理もない。ノエル自身、『モーニング・グローリー』以降のオアシスの作品には露骨に否定的だ。曰く、97年の『ビィ・ヒア・ナウ』は長すぎた。2000年の『スタンディング・オン・ザ・ショルダー・オブ・ジャイアンツ』は新味に欠けた…などなど。
ただし、それ以降のアルバム、すなわち『ヒーザン・ケミストリー』『ドント・ビリーヴ・ザ・トゥルース』『ディグ・アウト・ユア・ソウル』を当時の過大な期待というフィルターを外して聴いてみると、今だからこそ楽しめる要素も多い。そして何より、それらの曲もまた、オアシスという重要なバンドの物語を構成する、大事なピースなのだ。
本書ではその楽曲ひとつひとつの物語を綴っていこう……。
この続きは本書でお楽しみください
「1994— “スーパーソニック”」試し読みはこちら
『What’s the story? オアシス全曲解説』
リアム・ギャラガー激賞!兄弟の本音とドラマ満載!
オアシス全134曲を網羅した唯一の楽曲解説本”決定版”

ギャラガー兄弟を“誰よりも深く知る”音楽ジャーナリスト、テッド・ケスラーとヘイミッシュ・マクベインが全134曲の解説を軸にオアシスの背景とその時代性を鋭く描き出す。バンドやそのマネジメントとも深い関係を築いてきた彼らだからこそ書けた、オアシスの“内側”に迫る決定的ドキュメント。
“ドント・ルック・バック・イン・アンガー”“ワンダーウォール”などの代表曲からB面、隠れた名曲まで―全楽曲の制作背景と文化的影響を徹底解説。1994〜2009年のギャラガー兄弟とのインタビューから、未公開エピソードや舞台裏を多数収録。
私たちにとって、オアシスとは何か?
長年オアシスを取材してきた著者が、楽曲解説を軸にオアシスというバンドの背景と社会的影響力、時代性を鋭く描き出した唯一無二の決定版!
書誌情報
タイトル:What’s the story? オアシス全曲解説
著者名:テッド・ケスラー/ヘイミッシュ・マクベイン
翻訳者名:鈴木あかね
仕様:A5判/ハードカバー/452ページ
価格:定価3,520(本体3,200円+税)
ISBN:978-4-910218-39-7
発売日:2025年10月7日
発行元:ジーンブックス/株式会社ジーン
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Profile
テッド・ケスラー/ヘイミッシュ・マクベインテッド・ケスラー
音楽ジャーナリスト。イギリスの音楽週刊紙NME編集部を経て、月刊音楽誌Qの編集部へ。初のオアシス取材はNME時代の1994年、デビュー・シングル“スーパーソニック”のリリース直後だった。オアシスとのインタヴューは十数回を超え、最後の取材は2009年、アムステルダムの移動中、バンド解散の数か月前だった。リアム・ギャラガーの表紙インタビューもこれまでに5回担当。UKロックに関する著書多数。イギリス在住。
ヘイミッシュ・マクベイン
音楽ジャーナリスト。NME編集部に在籍中、オアシスの解散劇を最前線で目撃。バンド最後の公式ツアー・パンフレットを執筆。2018年、ノエル・ギャラガーの『Any Road Will Get Us There (If We Don't Know Where We're Going)』を共著した。『ビィ・ヒア・ナウ』リイシュー盤のライナーノーツも執筆。これは公式オアシス展『CHASING THE SUN: OASIS 1993 - 1997』で拡大展示された。イギリス在住。




