hader_eyecatch_1480-720
hader_eyecatch_1080-720

『リック・ルービンの創作術』試し読み

『リック・ルービンの創作術』著者:リック・ルービン/ニール・ストラウス 訳者:浅尾敦則

この記事をシェアする

X facebook

習慣

 練習初日、私が選手たちに真っ先に教えていたのは、少し余分に時間をかけてシューズとソックスをきちんとはくようにすることだった。
 道具類の中でいちばん重要なのがシューズとソックスだ。選手は固いコート上でプレイする。だからシューズを足にぴったりフィットさせておく必要がある。足のつま先――マメができやすい部分――やかかとでソックスがたるんでしまうことがあってはならない。
 私は選手たちに、ぜひそれを守ってほしいという強い思いを伝えた。ソックスをきちんと上げて、つま先とかかとの部分に注意を払ってたるみができないようにすることを。
 ソックスのしわをよく伸ばすこと。シューズをはくときもソックスを上げたままにしておくこと。そしてシューズのひもをほどくときは必ず全部ほどくこと――上のほうだけほどくのではなくて。
 全部の穴にひもを通してきつく締める。そして結ぶ。さらに二重に結んで途中でほどけないようにする――なぜなら、練習中や試合中にシューズのひもがほどけないようにしてほしいからだ。そんなのは真っ平御免だ。
 これはほんの些細なことだが、コーチは自分の特権でそれを伝えないといけない――なぜなら、そのほんの些細なことが重大な事態を引き起こすからだ。

 これはカレッジ・バスケットボールの世界で最も大きな成功を収めたコーチ、ジョン・ウッデンの言葉だ[ニューズウィーク誌のデヴィン・ゴードンによる記事「John Wooden: First, How to Put On Your Socks」(1999年10月24日号)より]。ウッデンはチャンピオンシップの優勝と連覇の最多記録を持っている。
 伝説のコーチとの練習初日に、そのコーチから最初に言われた言葉が「今日はシューズとソックスのはき方を練習する」だったら、早くコートに立って自分のプレイを見せたいエリート・アスリートたちは、さぞいらいらしたに違いない。
 ウッデンの言いたかったことは、細部にいたるまでいい習慣を身につけているか否かが勝敗を左右する、ということだ。ひとつひとつの習慣は些細なことかもしれないが、トータルでは絶大な効果を発揮してくれる。どんな分野であれ、頂点での争いになると、たったひとつの些細な習慣が勝敗の分かれ目になるのだ。
 ウッデンはゲームの中で問題が生じる可能性のあるすべての要素を検討し、そのひとつひとつについて選手たちに練習させた。何度も繰り返して。習慣として身につくまで。
 目指すのは完璧なパフォーマンス。ウッデンがよく口にしたのは、きみたちが戦う相手は自分自身だけだ、という言葉だった。それ以外のものは自分ではコントロールのしようがないからだ。
 この考え方はクリエイティブ・ライフにも応用できる。アーティストにとってもアスリートにとっても、些細なことが重要なのだ、その重要性をプレイヤーたちが認識していてもいなくても。
 いい習慣はいいアートを生み出す。一事が万事ということもある。ひとつひとつの選択、ひとつひとつの行動、口にするひとつひとつの単語に、細心の注意を払うのだ。アートのために生きる人生を目指して。

 クリエイティブな作業を軸とした一貫性のある枠組みを構築しよう。個人としての生活が規律正しいものになってゆくほど、その中で自分を表現する自由も増してくる。
 規律と自由では、一見すると正反対のように思える。現実には、このふたつはパートナー同士なのだ。規律とは自由がないことではない。時間と調和した関係のことを規律というのだ。偉大なアートを作るためのクリエイティブな時間を増やすためには、スケジュールと毎日の習慣を上手にやりくりすることが欠かせない要素になる。
 生活における効率化は仕事における効率化よりも重要だとさえ言える。日常の生活に軍隊式の厳格さでアプローチすることで、子供のような自由さの中にアーティスティックな窓を開くことができる。
 創造性を支える習慣は朝起きたときから始めることが可能だ。たとえば、ディスプレイのライトを浴びる前にまず太陽の光を浴びること、瞑想(できれば屋外で)、エクササイズ、そしてクリエイティブな作業を始める前に冷水シャワーを浴びることなど。
 このような習慣は各人各様だろうし、同じ人でも日によって違っているかもしれない。森の中に座り、自分の考えに集中してメモを取る人もいれば、特に行く先もないまま、クラシック音楽を聞きながら1時間ほど車を運転して何かがひらめくのを待つ人もいるかもしれない。
 オフィスで過ごす時間や、誰にも邪魔されずに想像力を自由に羽ばたかせる時間をスケジュールの中に組み込んでみるのもいい。その時間が3時間の人も、30分の人もいるだろう。夕方から夜明けまで仕事をするのが好きな人もいるし、1回20分の作業の合間に5分の休憩をはさむやり方を好む人もいる。
 自分にいちばん適したやり方を見つけることだ。やるのがつらくなるようなルーティンを設定してしまうと、やらずにすむ口実を探すようになってしまうかもしれない。あなたのアートを第一に考えるなら、最初は楽に守れるスケジュールを組むことだ。
 1日30分は仕事に集中すると決めることで、作業に勢いがつくようないい効果が生まれることもある。ふと時計を見たら、いつの間にか2時間経っていたというように。そのような習慣ができてしまえば、設定する作業時間はいつでも延長できる。
 楽な気持ちで実験すればいいのだ。目指すのは、創作を行うのは気分が乗ったときだけというやり方ではなく、創作を行うときのひとつのスタイルを作り上げること。そうしないと、1日が始まるときになって、今日はいつどのようにしてアートに取り組もうかと考えることになる。
 仕事の中で決断を下すのはいいが、いつ仕事をやるのかを決めるような生活は避けたいものだ。毎日の生活に必要不可欠な用事を減らすことができれば、クリエイティブな決断に費やせる余力も増してくる。アルバート・アインシュタインは毎日同じグレーのスーツを着ていた。エリック・サティはまったく同じ服を7着持っていて、どれを着るかは曜日ごとに決まっていた。日常生活の中にある選択肢を減らして、クリエイティブな想像力を解放してやろう。

 健康的で生産的な習慣を新たに身につけることは誰もが望んでいることだ。たとえば、運動すること、地元の自然な食材を多く食べること、あるいは作品づくりを毎日やるようにすること。
 そうは言っても私たちは、現在の習慣を見直したり改めたりすることをどれくらい真剣に考えているだろう? 「大衆らしいやり方」とか「私たちらしいやり方」として受け入れている行為も、習慣と同じようなものだと考えることがあるだろうか?
 特に考えることもなくやっている習慣は誰にでもあるものだ。クセといってもいい。クセになっている動作、話し方、考え方、そして感じ方。中には子供のころから毎日のようにやっているものもあるだろう。脳の中にそういう回路が出来上がって、変えるのが難しくなっているようなクセだ。そういうクセのほとんどは、やろうと思ってやっているわけではなく、体温調節と同じように自動的、自律的にやっている。
 最近、私はこれまでと違う泳ぎ方を習ったのだが、それは窮屈で不自然なものに感じられた。なぜなら、私はごく幼いときに泳ぎを覚えたからだ。その泳ぎ方が完全に身についているので、いちいち考える必要もなく、何の苦もなく泳ぐことができる。私はその泳ぎ方でプールの端から端まで問題なく泳ぐことができるけれど、世の中にはそれよりもっと遠くまで、もっと速く、もっと楽に進める泳ぎ方がいくらでもあるのだ。
 アーティストとして生きるとき、私たちはさまざまな習慣に頼りながらキャリアを築いてゆく。中には仕事の役に立たないものや妨げになるものもある。しかし、心をオープンにして注意深く見ていれば、そういった役に立たない習慣を見分けて遠ざけることも可能だ。そして新しい習慣を模索し始める。たとえば、一種のコラボ相手のような習慣だ。私たちのクリエイティブ・ライフに入ってきて、私たちの下で長く作品づくりに協力し、できることがもう何もなくなってしまうと、またどこかへ去ってゆくような。

 仕事のためにならない習慣と考え方
・自分には十分な才能がないと信じている。
・自分には仕事に必要なだけのエネルギーがないと感じている。
・ルールを絶対的な真実だと誤解している。
・仕事をやりたくない(怠惰)。
・作品を最高の表現にまで高めようとしない(妥協)。
・望みが高すぎていつまで経っても作業を開始できない。
・特定の条件が整わないとベストの仕事ができないと考えている。
・特定の道具や機材がないと仕事ができない。
・困難にぶつかるとすぐプロジェクトを投げ出してしまう。
・スタートしたり前に進んだりするためには許可が必要だと感じている。
・資金や機材や支援がないと仕事ができないという思い込みがある。
・アイディアが多すぎてどこから手をつけていいかわからない。
・プロジェクトを最後まで完成させたことがない。
・作業が進まないのを環境や他人のせいにしている。
・ネガティブな振る舞いや依存症にロマンを感じている。
・ベストの仕事をするためには特定の気分や状態になることが必要であると信じている。
・アート制作に打ち込むことより他の活動や義務のほうを優先させている。
・注意力散漫と優柔不断。
・短気。
・自分でコントロールできないことが障碍になっていると考えている。

  怖くて表現できないことを
  自由に表現できる
  そんな環境を作り出そう。

 クリエイティブな作業の第一段階では、私たちは完全にオープンで、面白そうなものを片っ端から集めてゆく。
 これを〝種〟段階と呼ぶことにしよう。美しいものへと大きく育ってゆく可能性のある出発点を、愛情と手間をかけて探すのだ。この段階では、それぞれの種を比較していちばんいい種を見つけるようなことはしない。ただ集めるだけだ。
 曲の種になりそうなものとしては、フレーズ、メロディ、ベースライン、リズムなどが考えられる。
 書物の場合はセンテンス、キャラクターのアイディア、舞台設定、テーマ、プロット。
 建造物なら形状、使用する素材、機能、あるいは建設する場所の周辺にある自然資産。
 ビジネスで考えられるのは、日常の不便さ、社会のニーズ、技術の進歩、あるいは個人的な関心。
 通常、種の収集に大きな苦労を伴うことはない。集めるというよりは、情報を受け取っているのに近い。つまり、気がつくということだ。
 魚を釣るときのような調子で、水辺へ行き、針に餌をつけ、釣り糸を水中に投げ入れて、根気強く待つ。こちらから魚の動きをコントロールすることはできないので、ただ糸を垂らしているだけだ。
 アーティストが釣り糸を投げ入れる先は宇宙だ。いつインスピレーションがひっかかるかはわからない。ただ待っているだけ。瞑想と同じで、どんな結果が得られるかは、それをやっている私たちにかかっている。
 種の収集では、積極的に気づくこと、そして無限の好奇心を持つことがいちばんのアプローチ方法になる。意志が役に立つことはあっても、力ずくで集めることはできない。

 種が集まってきても、そこで価値を判断してしまうと本来の可能性をつぶすことになりかねない。この段階でのアーティストの仕事は、種を集め、播き、きちんと水をやり、根を下ろすかどうかを見守ることだ。
 その種が何になるかという具体的なビジョンを持つことは、もっと後の段階では作業を進める指針になるけれど、この初期の段階でそれをやってしまうと、面白いものに成長する可能性の芽を摘んでしまうかもしれない。
 生命力の弱そうなアイディアが大きく成長して美しい作品になることもあるし、いちばんエキサイティングだった種が結果的に実を結ばないこともある。この段階で予測するのは時期尚早なのだ。もっと先へ進んでアイディアが育つまでは、正しい評価は下せない。いい種は時間が経てばおのずと真価を表すものだ。
 種の段階から注目しすぎたり、あるいは諦めるのが早すぎたりすると、自然な成長を妨げる恐れがある。早いうちから十分に力を注ぎたいという心の誘惑が、作品をぶち壊しにするかもしれないのだ。近道をすることや、早々にリストから除外することには注意が必要だ。
 種は水をやらないと可能性の芽を出すことができない。多くの種を集めたら、次は時間をかけて、どの種が自分の胸に響くかを見てみよう。ときには近くに寄りすぎて、その種が持っている本来のポテンシャルに気づかないこともあるし、そうかと思えば、種そのものより、その種を出現させた魔法のような瞬間のほうに価値があることもある。
 望ましいのは、数週間から数か月くらいの時間をかけて蓄積したアイディアの中から、これぞというものを選び出すことだ。今日手に入れた種を持ってフィニッシュラインに向かって今すぐ駆け出したい、といった衝動に突き動かされないようにしよう。
 種の判定は、集めた種が多ければ多いほど楽になる。仮にあなたが100の種を集めて、ナンバー54の種がいちばん心に響いたと判定したとしよう。しかし、もしナンバー54の種だけがあって他の種がなかったら、その判定はもっと難しいものになったはずだ。
 この種はうまくいきそうにないとか、アーティストとしての自分の個性にフィットしないだろうという思い込みは、クリエイターとして成長する妨げになる恐れがある。ときにはひとつの種が、自分をまったく新しい方向へ向かわせてくれることだってあるのだ。そして作業を進めてゆくうちに、それが元の姿とは似ても似つかない形に変身して、これまでで最高の作品になってくれることもある。
 この段階では、自分の仕事をもっと広い視野で捉えるようにしよう。可能性に対する不思議と驚きの感覚を研ぎ澄ませること、そして、自分ひとりの力で作り上げるのではないと認識することが大事だ。

  作業を進めてゆくうちに、作品はおのずと姿を現す。

実験

 たくさんの種が手元に集まった――出発点となる可能性の種だ。これから始まるのが第二段階の〝実験〟だ。
 出発点を発見した興奮に支えられながら、さまざまな組み合わせや可能性を試して、成長の方向性を示す種があるかどうかを見てゆく。これを生命の探求と考えてもいい。私たちの手で種に根を出させ、芽を出させることができるかどうかを見守るのだ。
 正しい実験のやり方というものはどこにもしない。一般的に言えば、私たちがやりたいのは種の世話をして、いろいろな方向に成長させてやることだ。植物の成長に適した環境を作り上げる庭師のように、ひとつひとつの種を育ててゆく。
 これはプロジェクトの中で最も楽しい部分のひとつでもある。なぜなら、失うものは何もないからだ。いろいろな形式を試してどんなものが出来上がるかを見てみる。ルールは無用だ。育て方はアーティストや種によって変わってくる。
 もし、その種が小説のキャラクターだったとしたら、そのキャラクターのバックグラウンドを発展させたり、活躍する世界を広げてみたり、あるいはそのキャラクターになりきってキャラクターの視点で書き始めたりすることが考えられる。
 また、その種が映画のストーリーなら、さまざまな舞台設定を考えてみる。異なる国やコミュニティ、時代、あるいは状況。たとえばシェイクスピアの戯曲は、ニューヨークのストリートギャングからサムライまで、あるいはサンタモニカから宇宙にいたるまで、これまでありとあらゆる設定に翻案されて映画化されている。
 探求する方向性は無限にあって、どっちに進めば行き止まりでどっちに進めば新しい世界が広がっているかは試してみるまでわからない。音楽で言えば、あるパートにボーカリストが素早く反応してあっという間にメロディが出来上がることもあるし、いくらボーカリストがそのパートに魅力を感じていたとしても、みんなでそれを何千回聞いても何も生まれてこないこともある。
 この段階で見るのは、どの育て方が最も早く、最も大きく成長させるかではなくて、どの種がいちばん有望かということだ。その成長の度合いを注意深く見て、余計な手は加えない。不要な部分を取り除いたりしないで、可能性を伸ばしてやるのだ。取り除く作業をやるのが早すぎると、これまで誰も見たことがないような美しい姿にたどり着く道を閉ざしてしまうかもしれない。

 実験の段階では、思ってもいなかったような結果に出くわすものだ。期待どおりのものが出てくるより、驚かされたり困惑させられたりすることのほうが多い。
 不老不死の秘薬を作ろうとして、硝石、硫黄、木炭を調合していた古代中国の錬金術師は、秘薬の代わりにまったく違うものを作り出した。火薬だ。他にも、数えきれないほどの発明品――ペニシリン、プラスチック、ペースメーカー、ポストイット――が偶然から生み出されている。自分が目指しているゴールに気を取られていたために、すぐ目の前にある発見を見過ごしたケースはこれまでたくさんあったことだろう。そうやって失われたものの中には、もしかしたら世界を変える可能性があったイノベーションも含まれていたかもしれない。
 実験の醍醐味はミステリーだ。種がどんなふうに成長するのか、果たして根を下ろすのかどうか、まるで予測がつかない。新しいもの、未知のものに対して、常にオープンな心を持つようにしよう。クエスチョンマークから出発して発見の旅に乗り出すのだ。
 種そのものが秘めているエネルギーをフルに利用して、それを妨げないようにするため、可能なことは何でもやるのだ。途中で手を出して、成長する方向を特定のゴールや、あらかじめ持っていたアイディアのほうへ向けたい誘惑にかられるかもしれない。だが、この段階でそれをやってしまうと、種が持っている可能性を最大限に発揮させることはできない。
 太陽に向かって伸びようとしている種を、成長したいように成長させてやろう。判定を下すときはいずれ必ずやってくる。この段階では、魔法が起きる余地を残してやることだ。

 すべての種が成長するとは限らない。でもそれは、どんな種にも成長するのに相応しいタイミングがあるからかもしれない。成長したり反応したりする気配がない種でも、捨てずに取っておいたほうがいい。
 自然界には、成長に最も適した季節が来るまで休眠している種がある。それはアートでも同じだ。まだしかるべき時期が来ていないアイディアもあれば、すでにその時期が来ていても、あなたのほうにまだその準備ができていない場合だってあるかもしれない。また、別の種を成長させることで、休眠中の種に光が当たることがあるかもしれない。
 中には今すぐにでも芽を出す準備が整っている種もある。実験をスタートさせたと思ったら、あっという間に作業が終わって満足な結果が得られたりする。あるいは、プロジェクトが途中まで進んだところで、これからどっちの方向へ進むのかわからなくなってしまうこともある。
 熱意が薄れてきても、ここまで多くの時間を費やしてきたのだからいい結果が出るはずだと信じて、引き続き種の世話に精を出すのはよくあることだ。種のエネルギーが落ちる一方でも、だから悪い種であるとは限らない。その種に合った実験が見つかっていないだけかもしれないのだ。そんなときはいったん距離を置いて、視点を変えてみる必要がある。同じ種でまた最初からやり直してもいいし、しばらくそれは脇にどけておいて、別の種を持ってきてもいい。
 どんな結果が出るかは私たちにもわからない。どの種に可能性がありそうかという自分の思いとは関係なく、すべての種を注意深く見て、いい手ごたえを探すのだ。
 手元にあるのがたったひとつの種――実現させたい特定のビジョン――でも全然かまわない。これが正しいという方法はないのだ。それでも、限界にぶちあたる可能性は考慮しておいたほうがいいだろう、もう打てる手は残っていないのだから。オープンな心で可能性に接していれば、自分の望むところにたどり着けるだろう、それがどこかはまだわかっていなくても。
 自分のやりたいことがよくわかった上でそれができるのは、熟練した職人の仕事だ。もし、あなたがひとつの疑問から出発して、それを頼りに冒険と発見を行っているのであれば、それはアーティストの仕事だ。途中で出合う驚きが作品の可能性を、さらにはアート形態自体の可能性まで、広げてくれるかもしれない。

 種から出た芽が立派に成長したら、すべての茎、葉、花から生命が満ち溢れてくるのがわかる。アイディアの成長具合はどうやって判断すればいいのだろう?
 いちばん正確なのは、頭よりも心で感じることだ。注目する種を選ぶ際には、興奮の度合いがいちばんのバロメーターになってくれる。何か面白いものが生まれそうな予感がすると喜びがこみあげてくる。もっと見たいというワクワク感、前のめりの気分だ。そのエネルギーに従うのだ。
 実験の段階では、私たちは自分の中に湧き上がる、ワクワクしてくるような自然な反応に注目している。頭で分析することが必要なときもあるが、まだその段階ではない。ここではハートに従うのだ。どこかの時点でこのときを振り返れば、なぜそんなワクワク感が生まれたのか理解できるかもしれない。たとえ理解できなくても、別にかまわない。この段階では、そんな心配をする必要はないのだ。

 もし、甲乙つけがたいアイディアがふたつあって、片方にはいいものになるポテンシャルが間違いなくあって、もう片方はポテンシャルの点では劣るけれど面白さの点で優っている、というような場合は、自分に興味があるほうを選べばいい。自分が何に惹かれているかを感じ取って、それをもとにして判断を下すのだ。どんなときでも、それがあなたの作品にとっていちばんいい結果をもたらしてくれるだろう。

  失敗は
  あなたが向かっている場所に
  たどり着くのに必要な情報だ。

この続きは本書でお楽しみください

『リック・ルービンの創作術』について

グラミー賞多数受賞、世界最高の音楽プロデューサーリック・ルービンが7年をかけて執筆した「創造性を高める78の知恵」

ニューヨークタイムズ ベストセラー第1位!
世界25カ国で発売!


世界最高の音楽プロデューサーとして名高いリック・ルービンは、アーティストが自分自身に抱く期待以上の能力を引き出し、素晴らしい才能を発揮するように導くことで、数多くの偉大な作品を生み出してきました。ルービンは「創造性の源」について長い年月をかけて思考するうちに、そもそも「創造性(クリエイティビティ)」とは、アーティストやクリエイターのためだけにあるものではなく、この世界全体と関係があると学びました。ビジネスにも、休養を取るときにも、また、日常生活や子育てなど、「創造性」は人生のどんなステージにも存在し、その才能を発揮する場所を拡げることができるのです。

本書は、誰もが歩める、創造性を高めるための道、ルービンの知恵と洞察の道を辿る学びのコースです。長年の経験から得た知恵を78項目に凝縮し、クリエイティビティを誰もが感じられる瞬間や、人生そのものを近くに引き寄せ、成功へと導いてくれる、感動的な読書体験を提供します。

書誌情報

書名:リック・ルービンの創作術
著者:リック・ルービン/ニール・ストラウス
訳者:浅尾敦則
仕様: A5判(210×148mm)/ハードカバー/468ペー
価格:¥3,520(本体¥3,200)
ISBN:978-4-910218-12-0
発売日:2024年12月19日(木)
発行元:ジーンブックス/株式会社ジーン

書誌ページはこちら
https://books.jeane.jp/books/thecreativeact/

記事一覧