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クレイジーな時代にロック写真家として生きるために見出した「音楽業界のサバイバル術」
——ボブ・グルーエンインタビュー<第1回>

インタビュー/鈴木あかね 構成/ジーンブックス編集部

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貴重な写真とともに、ロック黄金期のスターたちと過ごした日々を語った初の自伝『ライト・プレイス ライト・タイム あるロック・フォトグラファーの回想』発売記念!著者インタビュー

60年代のロック黎明期から現代に至るまで、ジョン・レノンをはじめ世界中のトップミュージシャンたちと親密に交流し、ロックの歴史をカメラに収めてきた写真家、ボブ・グルーエン。
2020年に、その半世紀にわたる活動の中で出会ったロックスターたちとのエピソードを克明に綴った自伝を米国にて刊行し、話題となりました。
今年、待望の邦訳版『ライト・プレイス ライト・タイム あるロック・フォトグラファーの回想』が発売され、その記念に著者ボブ・グルーエンへ直接インタビュー(全3回)を実施しました。
ロック・フォトグラファーという職業がまだ存在しなかった時代に、どのようにしてキャリアを築いたのか、ロックシーンやパンク、ニューウェーブといった音楽業界の移り変わり、これまでに出会ったロックスターたちについて、など本書の内容をさらに深く語っていただきました。

第1回は、ボブ・グルーエン流の「ロックスターたちとの関係を構築するコツ」、「音楽業界でのサバイバル術」について伺いました。
ロックの歴史が詰まった本書とともに、お楽しみください。

<第1回>クレイジーな時代にロック写真家として生きるために見出した「音楽業界のサバイバル術」

●ロック業界の暴露本にはしたくなかった

——本書の冒頭で、あるバンドと移動している車中でメンバーたちに自分の体験談を話して聞かせた。すると大ウケして、もっともっと!とせがまれたというエピソードがあります。こうした経験が自伝を書こうと思ったきっかけになったのでしょうか。

そうだね。いろんなところに旅してきたし、いろんな人と知り合えた。その体験談を話すとみんなすごく喜んでくれる。それで本にまとめたらもっと喜んでもらえるのかなと思ったんだよ。
実際に手をつけてみたら構成から何から思ったより大変でね。プロのライターに何人も依頼したんだけれど、“セックス・ドラッグ&ロックンロール”的な安直なマンガっぽく描かれてしまったり。
僕はこの本をロック業界の暴露本にはしたくなかった。実際の僕の人生はもっと地に足のついたリアルなもので、そこをきちんと伝えたかった。
結局、複数のライターに書いてもらっては気に入らないというのを繰り返して、最後にはプロジェクト自体にすっかり嫌気がさしてしまって。しばらく棚上げにしていたんだ。
何年も経ってから音楽ライターのデイヴ・トンプソン(※本書の共著者)を紹介されて。デイヴはイギリス人でとても気のいい男で。話を始めてみたら、ほんの数ヶ月でいい原稿ができあがってきた。20年がかりの大プロジェクトだったのに、そこからはたった一年で完成したんだよ。

——さまざまなアーティストとの撮影・交流エピソードが日付も含め、細かく記されていますよね。日記をつける習慣があるんですか。

いや、そういう習慣があればよかったんだけどね。これまでにちゃんとした日記を書いたことは一度もない。ヨーロッパに4、5日も行く機会があれば、どこで何を食べたかとか、誰と会ったかとか細かいメモを書くけれど、その程度だね。
ただ、自分が行った場所の写真はほぼ全部手元にあって、それぞれ場所とアーティスト名、日付つきで整理してある。いつイギー・ポップに会ったか、デボラ・ハリーとスタジオにいたのはいつかとかは正確にわかるんだ。それで記憶をたどって、その日の写真を見つければよかった。写真の日付がわかれば、あとはGoogleで検索すれば事実を確認できるからね。

——スマホ写真を日記代わりにするというのを先取りしていたわけですね。

そうかな(笑)? もうかれこれ20年くらいパソコンのカレンダーを使っていて、自分の行動記録は全部入っている。逆に昔の写真の日付からパソコンに行動記録を入力もしているしね。だから写真はもう全部整理できてるんだ。
本書用にファクトチェックも二重にも三重にもして、僕の記憶が間違っているようなところは全部書き直した。

●写真を通して、あるがままの姿を伝えたい

——ヨーコ・オノはあなたのことを「ふつうのフォトグラファーは図々しいのにボブはそうでない」と評していますね。

僕はグイグイ入っていくタイプじゃないんだよね。撮影でもほとんど指示は出さない。「もっと脚を見せて」なんて言わないよ(笑)。あまりにも突っ立ってるだけの相手だったらさすがに「カメラを見てもらえますか」くらいは言うけど。
でもニューヨーク・ドールズなんかは勝手に動いてくれるし、デヴィッド・ボウイにいたってはもう完全に俳優だよね——ステージで何百万とおりの姿を見せてくれる。エリック・クラプトンは見せ方が一種類しかないけれど、本当に美しいギターを弾く。僕は30年間、彼のまったく同じ写真を撮り続けているよ。ヒゲがあったりなかったり、髪の色が変わったりするだけで。

——(笑)

自然なシチュエーションで仕事をするのが好きなんだよ、単に相手とふらっとどこかに出かけて、そこで写真を撮っただけというようなね。もちろんかっこいい背景を探すけれど、相手にはリラックスしてもらって、人柄が浮かび上がってくるような写真を撮りたいんだ。
最近はフォト・セッションというと、絵コンテみたいのを描いて、大がかりなセットを組み立てて、「はい、そこに立って。次はこっち見て。はい、アゴをあげて」みたいな撮影が流行ってるよね。僕はそういうことは一切やらない。そういうやり方を否定するつもりはまったくないよ。ただ僕のスタイルではないというだけ。僕は写真をとおして、その人のあるがままの姿を伝えたいんだ。

ルー・リードがくれたお礼の手紙

——クリエイティヴ業界だと写真家もクリエイターとしてのプライドがあって、それがアーティストのエゴと衝突することもありますよね。そこはどう折り合いをつけているんですか

僕は撮影のときには自分のエゴは持ち込まない。相手が何を求めているか、自分たちをどんな風に見せたがっているかをまず見つけようと相手の話に耳を傾けるんだ。相手が求めているものを写真におさめたい。そのためにはとにかく会話してみるのが一番だよ。さっき言ったように「少し動いて」「もう少し近づいて」とか指示を出すときもなくはない。でも「あごを上げて」とかをやりすぎると、僕が見せたいものを見せることになってしまって、アーティスト側が見せたい自分ではなくなってしまう。だから僕は少し身を引いて、アーティストたちが心の準備ができるのを待つ。僕が求めている絵ではなくて、相手が求めているものを写真にとらえたいんだ。
僕にとって最高の褒め言葉は「この写真を母親にあげたいからもう一枚現像してほしい」というもので。つまり本人が気に入って、しかも親にも見せたいと思える肖像画を撮れたということだろう? ボ・ディドリーやルー・リードにもそう言ってもらえたんだよ。

——気難しいことで有名なルー・リードに?!
そうそう。すごく心のこもったお礼の手紙をもらった。「この写真のおかげで母を喜ばせることができた」と書いてあって。ロリー(・アンダーソン。ルー・リードの妻でアーティスト)とのツーショットを撮ったんだけど、それを母親にあげたんだって。あの手紙はうれしかったね。

「ノー」と言われてからすべてが始まる

——本書はあなたの人生をたどりながらフリーランス写真家として業界をサバイバルしていくハウツー本としてもおもしろく読めました。今の若い人にも響くだろうなと思いました。

そうだね、冒頭でこの本を孫娘に捧げたのは、僕らの世代がどんなふうに生きてきたかを知ってもらいたかったからでもある。
僕は数えきれないほどたくさんの人に会ってきた。会う人全員にていねいに、敬意を持って接してきた。どこに行っても自分の写真をみんなにあげた。たとえばエアロスミスのパーティで写真撮影を依頼されたら、PR担当者の写真も撮って、現像して、あげるんだ。そうするとPRの人たちが自分のオフィスに飾って、僕の名前を覚えてくれる。そうやって人が喜ぶことをやって、現像した写真を無料《ただ》であげるのも厭《いと》わなかった。何かをあげれば何かを返してもらえると信じている。そのコミュニティの一員になりたかったら何らかの貢献をしないとね。

——あなたの人柄は本書からも伝わりますが、同時にビジネス・センスも優れている。これはお母様から学ばれたそうですね。

そう、家庭環境もあるね。うちの母は1932年にロースクールを卒業した弁護士で——

——え、1932年? 戦前ですか?

そう。女性弁護士というと最高裁判事のルース・ベイダー・ギンズバーグが有名だけど、母のほうが先なんだ。当時、女性弁護士はほとんどいなくて、母は男子学生が200人というロースクールのクラスでたった5人の女子学生のひとりだった。1930年代にはドイツからアメリカに避難してきた人たちを助ける運動に加わって、移民法を専門にするようになった。それから移民法専門弁護士として95歳まで仕事をし続けた。いろんな法曹界の組織やチャリティ団体、コミュニティ団体の会長や議長もやっていた。生涯現役みたいな考え方を教わったのは母からだね。それからつねにベストを尽くし、他の人よりちょっとだけでも多く働けというのとね。
もう一つ、母が言っていたのは「何かを得たいのなら頼んでみなさい。頼まないのはむしろ怠慢だ。自分で自分に『ノー』を出しているのと同じだ」ということ。(不可能だと思っても)まず頼んでみて「ノー」を引き出す。そうすれば「イエス」になるように働きかけることができる。これは役に立ったね。いつもではないけれど、「ノー」が「イエス」に転じることが多々あったから。これなんかは若い人へのアドバイスになるね。

——本書にもある「ノーを拒絶ととらえてはいけない」という言葉ですね。

そう。「ノー」は会話の始まりなんだよね。ノーと言われたら僕は質問を始める。どういう意味でノーなんですか? どの部分がノーなんですかってね。

1980年代ならではの無茶苦茶な契約書 

——知的所有権について伺います。本書では仕事の度に契約書をきちんと読み、自分の著作権を守ることが大事だと強調されています。目先の利益を優先して作品の権利を他者に譲り渡すケースも多いと思うのですが、あなたはそうしなかった。

幸運にも父も弁護士だったからね。父から教わったのは、契約書というのはややこしく見えるけれど言語は全部英語なんだと。英語なんだから意味をきちんととって読めばわかるはずだということ。
電話で撮影を依頼されたとする。でももし実際に撮影にいって、依頼された以上の権利を譲り渡すと契約書が書いてあったら——まあ、この業界はそういうことがしょっちゅうあるんだけどね(笑)――傍線を引いて消さなきゃいけない。権利のすべてを相手に差し出してはいけない。人生の後半戦では若い頃の写真の権利をちゃんと持っていたのでだいぶ助けられたよ。
ずっと気をつけてきたのは「契約写真家」の状態にならないこと。これだとギャラも安いし、写真の権利も丸々買い取られてしまう。だから必ず請求書を書いて、そこに「今回の使用用途のみ」と明記した。つまり特定の宣伝用とかアルバム・カバーの使用のみという一回ごとの使用権だけを渡して、その他の権利は全部僕に残るようにしたんだよ。

——作品の権利意識について、あなたは同世代の写真家よりも時代を先駆けていたんでしょうか。

そうだね。(音楽業界の)写真の権利を巡っては訴訟もたくさん起きてるよね。大事なのは、いますぐ100ドルもらえるからって無闇に契約書にサインしてはいけないということ。100ドルと交換で自分が何を差し出しているのかを意識していないといけない。
80年代には無茶苦茶な契約があったよ。あるコンサートで「撮影パスが欲しければいますぐこの契約書にサインしろ」とかね。ふつう、ライヴの撮影パスをもらうと撮影できる写真の枚数が決まっていて、全写真を先方が所有することになっている。でもその契約書では僕らがそれ以前に撮影した写真の著作権をすべて先方に渡すって書いてあってね! そのときはたまたまうちのエージェントと他の写真家何人か、弁護士、その契約書を書いたマネージャーが会場のロビーにいてね。コンサートが始まってるのに喧々囂々の言い争いになったよ。

——クレイジーな時代を象徴するようなエピソードですね。

だからそう、契約書は絶対に読まなきゃいけないよ。とんでもない項目が紛れ込んでることがあるからね。

自分でもいい人生だったなと思う

——修行時代には生計を立てるために写真とは無関係な大企業の下っ端の仕事につくなど、いろんなアルバイトもされています。ただ、どこにいても何かを学ぼうとしています。とにかくポジティヴですよね。

そうだね。うまくいかないときでも良い方向に変えようとはする。物事の良い面を見るようにしている。かなり現実的な人間だから予想外のハプニングがあったり、ミスや間違いがあってもパニックに陥らず、まずは解決策を探そうとする。あとになってアドレナリンがバーっと出て、「今のは何だったんだ!」と思ったりするけどね(笑)。

——本を読んで感じたのは、あなたは理想主義と現実主義のバランスをとるのがうまいっていうことです。どちらかを諦めたりはしない。

政治家ロバート・ケネディ(※ジョン・F・ケネディ大統領の弟)の言葉で「ある人は現実を見て言う、なぜ、こうなってしまうのか?と。私は不可能を夢見て言う。やってみよう!」というのがあるよね。そういう60年代的な考え方の影響は大きいね。「良いアイデアをトライしてみて失敗するほうが、悪いアイデアを試してみて成功するよりよい」という言葉も好きだ。とにかくやってみること。ダメだったらプランB、それも失敗したらまた別の方法でやる。トライし続けないと。
正直、写真家は経済的に安定している仕事とはいえない。でもそれはバンドやアーティストも同じで、誰もが知っているアーティストだっていい時ばかりじゃない。絶好調のツアーをやった次の3年はまったく売れなかったりね。でもこの仕事なら、いろんなところに旅ができるし、いろんなご飯を食べられる。自分でもいい人生だったなと思うよ。もうそこは本に書いたとおりだよ。

——これまでのキャリアを振り返って、若いときの自分にしてあげたいアドバイスはありますか。

うーん、いままでの経験全部かなあ(笑)。でもすべて知ってから始めていたら、この半分も楽しくなかっただろうね。

▶︎<第2回>へ続く

『ライト・プレイス ライト・タイム あるロック・フォトグラファーの回想』

世界で最もロックを撮った写真家、ボブ・グルーエン初の自伝。250枚超のロックレジェンドたちの写真を掲載した永久保存版!

ジョン・レノン、ボブ・ディラン、ミック・ジャガー、エルトン・ジョン、セックス・ピストルズ、キッス…伝説的ミュージシャンたちとともに1960年代から半世紀以上を歩んできたロックフォトグラファー、ボブ・グルーエン初の回想録『ライト・プレイス ライト・タイム あるロック・フォトグラファーの回想』が遂に日本上陸。
本書では、被写体となったアーティストとの逸話をはじめ、ロックの黎明期より活動してきた著者ならではのエピソードが満載。1970年代よりたびたび訪れた日本の思い出なども存分に語られます。
カラー多数含む250点超の写真を掲載した永久保存版です。

【書誌情報】

書名:ライト・プレイス ライト・タイム あるロック・フォトグラファーの回想
著者:ボブ・グルーエン/デイヴ・トンプソン
訳者:浅尾敦則
仕様: A5判(210×148mm)/ソフトカバー/500頁
価格:3,850円(本体3,500円)
ISBN:978-4-910218-07-6
発売日:2024年8月
発行元:ジーンブックス/株式会社ジーン

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ボブ・グルーエン(Bob Gruen)

Profile

ボブ・グルーエン(Bob Gruen)

1945年ニューヨーク州生まれ。ロック・フォトグラファーの草分けにして第一人者。1970年代初頭にプロの写真家として独立してからは多くのミュージシャンと親しくなり、とりわけニューヨーク移住後のジョン・レノン、オノ・ヨーコとは密接な交流を持った。また英米のパンク、ニューウェーブを当初より記録してきたことでも知られる。日本とのつながりも深く、70年代よりたびたび来日し、一時は東京に居を構えていた。2017年には写真集『ROCK SEEN』(SMASH)が日本でも刊行され、あわせて写真展も開催された。ニューヨーク在住。

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